一週間終了・・・精神的に疲れた

今週の後半は新サービスの提案をする課題が出た
(完璧主義者の気のある)技術屋としてはいい加減な仕組みを提案したくない、と言う訳で色々と突っ込みを入れたのだが・・・
まあ、不評らしい
すさまじく不評らしい


しかし、某T&S研のクオリティなら手抜きも良い所の突っ込みだ。
つまり、某M研的には中間審査とか研究会前程度のクオリティって事だ
世間一般的にみてあのレベルの突っ込みはきつい突っ込みなんだろうか?と思う今日この頃


さて、大学関係者諸君、余裕があったら教えて欲しい。
どう思う?


まあ確かに自分の考えてることが間違ってると言われれば反発するのは当然だが・・・
1.仲良しこよしで薄っぺらい論議に終始してそれでおしまいと言う考え
2.多少不快であっても深い論議を行いそこからより良いものを生み出していこうというと言う考え
どちらが正しいあり方なのかな?



閑話休題(それはともかく)
自分がやるべき仕事もやらずに遊んでいるなら問題だが、自分のやるべき事をやっていれば、だらけるのは問題ないと思う。
ただ、自分のやるべき事が実は他の人から見たらまだ不足であったりした場合はそれを指摘することになんの躊躇が必要なのか?


自分の作業に関してプレゼン後に「わかりにくい」とのコメントを戴いたが、もしかすると他の面子が「このグラフはわかりにくい」と思っていたのなら素直に指摘すべきだろう。
人の意見というものは自分の脳内にある訳ではなく、他人の中にあるものである。
であれば、どうすればその意見を知らせることが出来るかと言えば話すしかないのである。
自分の脳内の意見を他人に察しろと言うのはどだい無理な話で、やはり言葉として発することでしかその意見を伝えることは出来ない。
しかし、言葉というのは案外不便なもので自分の意図を正確に伝えることは難しい。
私自身そんな場面はいくつも経験しているし、ほかの人たちもおそらくそうだろう。
自分の意図をその不便な言葉で正確に伝えるにはやはり話すしかない。
そしてその人の意図を酌み取るために論議を行うことが大切であると私は考える。
論議自体をしないと言うのはむろんもってのほかであるし、意志の疎通を放棄したともいえる。
が、論議しないこともまた(暗黙の)意思表現とも言えるのが困った所

何はともあれ、それが正確に伝わるにしろ、伝わらないにしろ自分の意図を他人に伝えることは必要なことだ。


自分の意見をキチンと言えること、他人の考えをうまくキャッチできること。
まあ、それをみんながキチンと出来るんで有れば世界は平和なんだろうな・・・



うむ〜、久々に長文を書いたな(笑