嫌いな言葉その1「常識」

前に述べたことなどをいくつか引用して話をする。

↓そもそも「常識」ってなに?と言う話をwikipediaさんに聞いてみると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E8%AD%98
「社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと。そのほとんどは暗黙のルールの一種である。」と書かれていた。
つまり、単純化すれば「ある特定の社会」における「暗黙のルール」と言う事になる。


私は、現代日本の社会において正常な人間のだれしもが持っていてしかるべき物について「常識」と表現するのには何ら嫌悪感を抱いたりはしない。
しかし、あるAに取っての「常識」があるBに取っての「常識」ではないと言うことがある。
これを私は「常識の非常識」と言っている。


私にとって「常識」は二つの意味がある、一つは「万人にとっての常識」であり、もう一つは「個人にとっての常識」である。
ここで前者における「ある特定の社会」とは、「現代日本における正常な人間の全員」を示し、だれもが考える「常識」である。
後者はにおける「ある特定の社会」とは、「最低自分一人」であり、だれしもが考える「常識」とは大きく乖離している場合が多い。
そのような使い方をする人間は自分にとっての「常識」を他人になんの論理的な説明も無しに「常識」だと押しつけるものがいる。


私はこれが嫌いだ。


「個人にとっての常識」を語るなら最低限その「常識」の根拠となる理由や理屈を示した上で「常識」を示して欲しい。


ここで、いくつか常識と言う言葉を違った方向から見た言葉を紹介する。

  • 常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。(アインシュタイン)
  • 常識とはそんなに平凡なものではない。(ヴォルテール)
  • 身勝手な自己主張を正当化するときに使う言葉。
  • 「常識」に対して疑問を持てる知恵が「良識」

・・・まあ、「身勝手な自己主張を正当化するときに使う言葉」として使われるのは嘆かわしい限りだ。