嫌いな言葉その3「絶対」

そもそも「絶対」ってなに?と言う話をwikipediaさんに聞いてみると無い・・・orz
・・・とういことでgooに聞いてみた↓
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C0%E4%C2%D0&kind=jn&mode=0&base=1&row=0
これによると、他に並ぶものがないこと。何物にも比較されないこと。比較や対立を絶した存在であること。また、そのさま。一切他によって関与・制限されないこと。無条件。どうしても。なにがなんでも。必ず。決して。とまあ色々な意味がある。
しかし、実際に「絶対」と言う言葉を使う場合、「相対」に対する対義語としての使われ方、または「何が何でも決して間違いようのないこと」としての使い方が一般的かと思う。


前者は、「絶対アドレス」、「相対アドレス」などのように使われる。
後者はたとえば、「彼の言うことは絶対に間違っていない」とか「このプログラムには絶対バグはない」と言うように使われる。


まず、前者に関しては言葉のこの例での使い方には難があるようにも思えるが特にこれといって言うべき事はない。
(絶対アドレス=実アドレス、相対アドレス=参照アドレスととした方がより実情を示している気がする)


問題は後者だ。
後者の使われ方として、論理的、または観測的、数学的に正しいことが証明されていることに対して「絶対」と使う場合がある。
「人間は絶対いつか死ぬ」、「十進数の計算における1+1の答えは絶対に2である」の様な場合だ。
この場合、その証明の方法や、仮説が正しくない場合を除けば問題は無い。
つまり、少なくとも「論理」あるいは「長期間の観測」によって例外がなく間違っていないことを保障されている様な者に対する「絶対」とでも言えばいいだろうか。
この「絶対」に関しては「その論理、観測が間違っていないと思われる場合に限り」使うことは何ら問題のあることではない。


しかし、「何が何でも決して間違いようのないこと」としての「絶対」を何の証明も根拠も無しに使うものが良くいる。
先ほども例として出たが、「彼の言うことは絶対に間違っていない」とか「このプログラムには絶対バグはない」と言うだけでは何に証明も根拠も無しに使っている「絶対」である。
「彼の言うことは絶対に間違っていない」と言うのであれば、なぜ彼が正しいのかを論理的に説明すべきだし、「このプログラムには絶対バグはない」ならバグというものを仮定した上で、そのプログラムが行うべき処理のアルゴリズムを示し、プログラムの行うべき処理からいかなる場合であっても逸脱しないことを示さねばとうてい「絶対」等という言葉を使うべきではない。


同じ理由から、未来の事項に関しても「絶対遅刻しない」とか「絶対締め切りまでに完成させる」などという用法は嫌いである。


「世界は相対で出来ている、未来において絶対はない、歴史(過去)において絶対はない、記憶において絶対はない、証明された真理においてのみ絶対は存在する可能性がある」というのが私の思想である。
つまるところ、「それこそ絶対を、絶対に証明できることでなければ絶対という言葉を使う」のは避けたいと言うのが私の本心である。
事実とは相対的な観測と仮説(つまり、論理的説明)それに基づく証明でしかなく、仮説が仮説である以上「絶対」というのにははばかりがある。


まあ、「絶対」と言う言葉を軽々しく扱う様な人間には「それこそ絶対に」なりたくないものだ・・・